三十路日記 2001
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7/25
もののけ姫をはじめて見終えたときの感想は
「悪役がいない‥」ってことでした。ものすごくショックでした。
って、逆に考えると自分は勧善懲悪の図式を当たり前に受け止めていたってことです。
善だ悪だなんて、立場が変わればどちらが善だなんてわからなくなるということに
気が付いたのはこの映画がきっかけかもしれません。
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7/14
石原都知事が宮崎のイベントに呼ばれて
「公費でヨットに乗ることをどう思うか?」とある記者に聞かれ、
「呼ばれたから来たのに、そんなことをいわれるなら帰る」と
予定を繰り上げて東京へ戻ってしまったそうです。人間らしくてカッコイイなぁと思います。
本来、政治家が「好かれる・好かれない」というのは結果の問題だもの。
「好かれるようなことをする」政治家じゃ居ること自体に意味がない。
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5/7
4月末に祖母が危篤。
その後、低空飛行を続けながら回復の見込みなく祖母は生きているのですが、
GWは親戚そろって自宅待機です。
死というものは突然やってくるものだと思っていましたが、
1週間以上も死んでしまう者の為に生きている者がその日を待つという
気持ちのよくない体験をしています。
こういう状況もあるのね、と最期の最期に祖母から学ばさせてもらったように思います。
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5/1
昨日祖母が危篤で病院へ行きました。
ベッドに横たわって呼吸器をつながれて意識もほとんどない祖母。
翌日仕事をしていると、
嫌な仕事でも体が動くということの幸せさを
感じざるをえませんでした。
基準がどこに移るかで同じことでも感じ方が変わる良い例。
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4/30
通りすがりの小学校の壁に「いけないことはしない」という標語が掲げてあった。
「いけないこと」ってなんだろう?と自問してみたんだけど、
自分にとっていけないことって「自分の良心に反したことをする」ということだなぁ‥と思った。
そう考えると、今の生活環境は世間的にはどうみられているかわかりませんし、
決して威張れるものでもないとは思うのですが、
少なくとも自分の良心に反した行動で迎えた結果ではないと思えて少し救われました。
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4/30
ものすごく怖い夢をみました。
学生時代の夢なのですが、課題の提出期限を4日後に控えて
何もできていない夢です。
のほほんと自宅で遊んでいると、すでに課題の見通しの立っている友達が遊びに来て
提出4日後だよね、と教えてくれます。
この手の夢(卒業を間近に控えて単位が足りないことに気づくとか)はたまに見るのですが、
何を示しているのか良く分かっています。
有限の人生、課題提出日は決まっているのに
その準備を日々怠っていないか?と自問しているのです。
心にやましいことがなければ、
こんな夢を見て焦ることもないでしょうに。
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4/25
マクドナルドの平日半額セール。
一週間のうち5日が半額ということは
平日定価で休日倍額ということにならないのか、と
物議をかもしていると新聞に載っていました。
思わずナルホド、とうなずいてしまうことに
言われるまで気がつかなかったことが
大変悔しくてならないニュースでした。
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4/6
尾崎豊の没後10周年だそうで、
新聞に彼の唄の一部が載っていました。
大人との対立構図の詩なのですが、
自分は普段こども日記の中で「赤ちゃんと子供の境界」について
意識的にその「線」を見定めようとしている割には
この詩を読むまで「若者と大人の境界」について考えることはありませんでした。
予備校講師時代、生徒から見れば自分は「大人」だったかもしれませんが、
そんな客観的な見方ではなくて、自分自身がどう思っているかと考えると‥
自分が大人だと思ったことは実はただの一度もありません。
1児の父になってもそうだっていうことは
何かしらの自覚が足りてない?
いや、でもこれは父だからとかいう問題ではなくて、
僕自身の、体制側に回りたくないという気持ちの現れだと思います。
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4/3
ついつい口をついてでてしまうのですが、
「がんばってね」と言うのは嫌いです。
だって具体性ないもの。誰でも言えるし。
本当に相手のことを励ますつもりならもっと言葉を考えて
自分がどう相手を励ますつもりなのか言うべきだと思うのです。
大体、相手が放っておいてもがんばる相手なら
「がんばってね」と言うこと自体が失礼だと思います。
同様に、「~によろしくお伝えください」と言うのも嫌いです。
それを言う頭の中には相手に自分をアピールしてくださいという意図がありながら
簡単に慣用句を口に出すだけで賄おうという感じがするからです。
相手に対してどういう気持ちで居るのか
常に自分の言葉を考えてから口にしたいものです。
余談ですが、社会人のスーツにも
上記の言葉と同様の匂いを感じます。
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3/31
「グリーンマイル」という映画を見ました。
悲しくて悲しくて、終わりに近づくほどラストを見るのが嫌でたまらない映画でした。
こういう手法もあるのね、と大変勉強させられる映画でした。
ひさびさの涙の感動作。
まだ見てない方でこれから見ようという方は、
予備知識も先入観もなしで見た方がよいかも。
パッケージの裏の解説も読まない方がよいです。
余談ですが、人に勧める映画は?と言われて
真っ先に答えたいのは今のところ「CUBE」という映画です。
何が最高、というわけではないのですが、
これほど「ヤラレタ!」感を持った映画は
ここ最近観ていません。
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3/20
道路に携帯灰皿の包装袋が落ちていました。
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3/13
某大手電気メーカーの事業所で仕事開始。
といっても最初は研修です。
研修教材の中でセクハラに関するビデオを見せられたのだけど
「こういった行為はセクハラに相当しますのでやめてください」という
説明があって終了(しかもビデオ内の解説者は教材棒読み)。
問題が起こった(またはなりうる)から禁止する、ということが問題の解決法だなんて
学校教育現場の体罰に対する風潮が厳しくなったのに通じるものがあると思うのだけど
要するにお互いの信用がなくなった、っていう
悲しい事実が露呈しているだけだと思う。
信用がないから決まりをつくる。
セクハラにしても体罰にしても
お互いが相手の気持ちを理解することで
程度や限度を規定しなくても
回避できることじゃない?
規定したことを誇らしげに語るのではなくて、せめて最後に
「こんなくだらないこと規定されることを恥じましょう」とでも
言ってほしかったなぁ。
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3/6
最近立て続けに派遣会社に登録しました。
どこへいっても「これが答えだ!」と言わんばかりに
一般常識を並べ立ててた研修と
純粋に技能や知識量だけを測るテスト。
これまでの学校教育の一番まずいところをそのまんま社会でも繰り返してる。
あらかじめ画一的な答えのある試験。
発想力や工夫する力などアピールしようも無い試験。
人材派遣の仕事の種類は多岐にわたりますが、
入り口のところで「現場の末端でなにができるか」って
能力測るだけって夢がなさ過ぎます。
もう、ホントにその場に居るのが嫌で嫌で嫌でしょうがなかった。
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2/28
先に二つの算数的な疑問を挙げましたけど、
今の僕にとってはどうでも良い疑問なのです。
だって答えでちゃったんだもの。
答えは「数」なんて概念の産物、コミュニケーションの手段で、
正確に「1つ」なんてものはどこにも無いってこと。
整合性のあるものを善しとしてモノを考えるのは社会的に必要なことかもしれないけど、
逆に不整合なことが当然で、整合するほうがオカシイという考えに基づいて考えたら
計算が合わないってことにいちいちイライラするほうが
「不整合」なわけだし。
いや、このことと先の「(1÷3)×3≠1」というのはまたちょっと違う話なのですが、
少なくとも「不整合が当然」って考えを得るためには
先の不整合な計算は必要な計算だったわけです。
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2/27
中学生のころから不思議に思っていたこと。
ある国での長さの単位1が、ほかの国で丁度ぴったり3という長さに相当するとします。
ある国で、その長さのぴったり1/3という長さは割り切れないから測りきれないのに、
ほかの国では1という割り切った長さで存在します。
なぜ?
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2/25
小学生のころから不思議に思っていたこと。
3を3で割ると1。それを3倍すると3。
でも、1を3で割ると0.333333‥。それを3倍すると0.9999999‥。
元には戻らないのは、なぜ?
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2/22
絵を描いていました、というと
「具象ですか?抽象ですか?」と聞かれることがある。
頭の中に具体的にあるイメージを絵に描いたらそれは具象?抽象?
具象物といってもその全てを認識できないんだから、
部分で全体判断しているという意味ではとっても抽象的だし
抽象ってモノの持つ何かを強く意識した結果で生まれるのだから
頭の中ではかなり具象的。
あるもの(モチーフやイメージ)を別な形(作品等)にトランスフォームする時点で
抽象的で具体的な選択をしているわけですね。
身近なところで‥
労働に対する対価をお金で貰うことこそ
非常に複雑でとても具象的な抽象作業だと強く思います。
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2/21
先日、隣のテーブルの女性が
「自分の子供のホームページ作ってるのって、単なる親の自己満足ですよねー」と
話しているのを耳にして、ふと思った。
自分の「こども日記」は子供の可愛らしさをアピールするのが主目的のページではなくて
子供とつきあう中で主観的に気づいた点や客観的に気づいた事を
記録するためのページ(のつもり)。
将来子供がそれを読んで
親の勝手な視点からの観察かもしれないけれど
当人も覚えていない、それでも自分自身の過去を
補えることが目的で書いている(つもり)。
でもね、
話は変わるかもしれないけど
「自己満足」って、全ての行動の原動力だと思うのです。
そう考えると彼女の一言も一理あるなぁ‥と妙に感心してしまいました。
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2/20
赤信号は渡っちゃいけない、なんてウソ。
赤信号で渡ると当人が危ないから渡っちゃいけない、というのがホント。
主体的な意思で生きたいものです。
人が法を守るのではなくて
法が人を守るのです。
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2/9
日本画家の知人から手紙と作品の写真が届きました。
絵画作品を見るってことは「作品を描くのに費やした長い時間」を
一瞬で知覚するということです。
この辺が他の芸術と絵画の違いで、
文学も音楽も演劇も
作品を鑑賞するのには時間の流れ(記憶力)が必要です。
写真は‥彼の身体表現を
まとめて一瞬で伝えてくれました。
封筒から大版の写真を出した瞬間、「時間」が視覚化して見えました。
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2/6
三十路日記よみなおしてみたんですけど、
なんか最近、他人の仕事の感想ばかりで新しいこと考え出してないですね。
知識ばかりで教養のない親父と口喧嘩になったのだけど、
知識こそ教養だと思っている人(知識量を自慢する人)はサイアクですね。
知識って教養の一部分でしかないのにね。
それをどう生かすかが教養だというのに。
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1/12
リュックベッソン監督のジャンヌダルクを観ました。
サイアクです。
宗教(や信念)は妄想(かもしれない)という
面白いテーマを扱っているにも関わらず、
映像は非常に醜悪なシーンが目立って
テーマと映像のギャップがあまりにも気持ち悪かった。
ただの残虐映画よりよっぽどひどい。
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1/1
伯母が生活の中から見つけた、「他人に対して腹の立たない方法」を教えてくれました。
「頼らない 期待しない 望まない」
よーするに自分で何でもやっちゃえば良いということです。
今年の抱負にします。
