三十路日記 2000
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12/31
最近日記がめっきり減ったのは
子供が生まれてこども日記にかまけていたせいもあるのだけど、
どうも文章を考える能力が落ちてきているみたい。
というか、普段からいろいろ思うことはあるのだけど、
それを日記につけるまで覚えられていないようです。
というか、日記を書こうというパワーがなくなってきているのかも。
いずれにしても自分の劣化。
量が減っても質が上がるのならそれもアリかと思うけど。
どーもそれもないみたいだし。
来世紀はもっと何事にも積極的になれますように。
今年は自信をなくすだけなくした年なので
来年は落ちた底からあがろう。
あ。年越した。
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12/1
中学校の図書館で横山操の画集をみました。
好きな作家なクセにまだみたことない作品が沢山載っていました。 彼の絵を見ていると、芸術って人の猿真似してもしょーがないよな、ってつくづく思います。
彼の仕事は、彼の仕事の激しさは彼の人生そのものだと分かり易く画面に描いてあるからです。
彼のような絵は彼のような生きかたをしなくては描けないぞって。
そう思うとつくづく人の人生ってそれぞれがひとつの作品だなぁと今更ながらに思います。
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11/29
仕事で中学校へ行っています。
中学生は不気味です。だって子供みたいな1年生から大人みたいな3年生までいるんだもの。
身長だけでなく身体のがっしり感もえらく差があったりなんかして。
大学・社会人と、この十数年間まわりはみーんな「おとな」の世界だったので
この人種のるつぼな集団は変な感じ。
あ、きっとみんな同じジャージ着てるから特に感じるんです。
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11/28
月齢10ヶ月目に入ったうちの子供の成長が著しくて恐いくらいです。
もっともっと赤ちゃんで居て欲しいのになぁ。
手に持ったお気に入りのモノをぶんぶん振りまわして
手の届かないところへ落っことしたら
それをしばらく見つめて取ろうとしていました。
過去と未来を「イメージ」することが出来るようになったってことですよね。
以前は落としたらそれまで、その場そのときの興味で動いているだけだったもの。
無垢な状態で産まれてきたのに
「モノは上から下へ落ちる」「時間は過去から未来へ進む」っていう
僕らの世界の物理的な制約のある常識を
段々当たり前として受け止めていくようになる子供が
かわいそうというかもったいないというか‥
子供の成長を大手を振って喜べないのは
そんなところに理由があるみたい。
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10/31
今の職場まではバイクで約20分。
田圃に囲まれた地平線まで続く直線路をトコトコと走っていきます。
遙か遠方に見える景色がいつまで走ってもなかなか近づいてこないのは
飛行機に乗っている感じに似ています。
そんな道なので秋空がもの凄く広く感じます。
かなり開放的な気分になってシアワセです。
他人に勝った負けたなんかどうでも良くなる瞬間。
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10/28
人生で9回目の引っ越しをしました。
広島から東京へやってきたときもかなりゴミが出ましたが、
東京から千葉へ越してきた今回も結構な量の物を捨てました。
昔懐かしい思い出の品々も
思い出の中に留めておけばモノがなくても‥と
物理的御都合主義が引っ越しをする度に
身の回りにある「ゴミ」の基準を下げていきます。
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10/9
前の仕事は慌ただしく忙しい仕事で
時間が過ぎるのがあっという間でした。
仕事を辞めて初めての週末を迎えて
懐かしいゆったりした時間を過ごせました。
仕事を辞めた最大の理由は
「自分の」時間の流れ方を失ってしまったから。
ああ、自分は物を考えるのに
このくらい精神的な余裕がないとだめなんだなぁ‥と
再確認できた週末でした。
人のシアワセってね‥少なくとも自分のシアワセは
自分が自分で居られることだと
当たり前のことを再確認するために
方々に迷惑をかけて大きな代償を払うことになりました。
気分的には核兵器のボタン押してみて、
「あ、これ押したらやっぱり人類滅亡しちゃうんだぁ」
って確認した感じ(それじゃ遅いんだってば)。
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10/5
仕事を辞めて思ったこと。
収入がなくなる不安よりも、
自分が一生続けられる仕事がみつかるか
という不安の方が大きかった。
不幸だと思っていた昔が
死ぬほど羨ましい今。
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10/4
新しい仕事をはじめました。
いずれ実家に引っ越すので仕事先は自宅よりも下り方面。
夕方仕事を終えて、ギューギューに混んでいる下り車線を見ながら
空いている上り車線を軽快に走る
悲しい心境。
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10/3
あらま、前回の日記からすっかり4ヶ月も間があいてしまいました。
人生のドラマチックな出来事発生。
突然退職しました。
仕事がイヤだったわけじゃなくて、
自分の居場所が社会の中で見定まらなくなる環境に
自分で自分を追い込んでしまったからです。
これまで全てが順風満帆とまでは行かないまでも
「この先どうしよう!?」という事態に遭遇したことはない人生だったので、
このトラブルは大きな破局?試練?
「ハズレくじな」人生にならないように
‥アタリを引くために必要なトラブルだったと言えるよう努力します。
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5/24
三十路日記、10分の1終了。
こども日記をつけはじめてからすっかり書きこみの減ったこちらの日記ですが、
頭の体操のために続けなくちゃなと思います。
1年をふりかえる材料があるのって大事ですね。
この年になってもまだまだ人生にはドラマチックなことが
たくさん訪れるんだなぁと実感できますもの。
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4/19
「ここが変だよ日本人」のテーマは催眠術だった。
街頭アンケートを見ていると日本人は
催眠術と超能力を混同しているようだったが、
「信じる?信じない?」という項目でアンケートする番組自体おかしいぞ。
外国人は日本人に比べて信じる割合が多いけど、
「催眠術」とはそれ以前の問題で
意思の疎通が出来る相手になら誰でも誰にでもかけられるものです。
だって暗示だもの。
1万円札ってただの紙に見えないでしょ?
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2/15
退職に関わる国民保険や年金の手続き、子供の出生届けのために
区役所や職場を往復する。
「国民保険の場合は手帳も提出してください」
「ここにハンコを押して」
「9番の窓口へ行って」
なんだか必要なものが一つ足りないとないと先へ進めない
ロールプレイングゲームの様だ。
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2/14
長男誕生。
保育器の息子を眺めていて、
はじめてのものを見るときの
盲目的に見るベールが拭われたあとには
自分がコンプレックスを持っている身体的な特徴が
コピーされていないか探していた。
足が短いとか指が短いとか
まだわかんないっつーの。
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1/13
過大評価からくる自尊心
過小評価からくる自己嫌悪。
自尊心からくる自己嫌悪。
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1/12
この世に生まれてきた日が誕生日だから
帝王切開の出産でもその日が誕生日になる。
病院によっては手術日が決まっていて
誕生日は病院の都合で決まってしまう。
人ってこの世に生まれる以前から
社会的な制約受けてるのね。
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1/11
昼食は普段職場でとるのだけど、
今日は近所の定食屋へ出かけてみた。
帰りの道すがら、猫の集まる公園がある。
なぜか広い公園の一角だけに集団でかたまっているので、近づいてみると
公園に隣接した喫茶店の換気扇から温風が吹き出している。
じりじりと近づいていって‥四散させてしまった。
もうしわけない。
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1/8
今日は引退した舞の海がテレビに出ていた。
対小錦戦でじん帯切断して
相撲生命を(本人の心情的にも)危ぶまれたが
そこから立ち直れたのは
真剣に治療してくれる先生やファンの励ましだったという。
これにはあまり嫌悪感がなかった。
昨日の田村亮子の時にはイヤでしょうがなかったのに。
違いは何かと考えてみたら、舞の海はプロ力士だった。
ファンもスポンサーのうち。
あ、でもオマンマのために闘うというのは
やっぱりスポーツとして不純だなぁ。
勝負ごとは自分のためにやって欲しい。
と思ったら、また新たな考えが。
ファンの期待に応えて相手に勝つ、ということは
ファンの期待に応えたという自己満足が得られる。
それが自己啓発につながるんだったら、
それも意味あることかもしれない。
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1/7
柔道の田村亮子がシドニーオリンピックへの意気込みを語っていた。
「よくて金メダル、最低でも金メダル‥」と
勝つ事以外考えていない。
勝ちつづけることの辛さと、
過去たった2回の負けから学んだ
「優勝」と「準優勝以下」の意味の大きな違いからくる
プレッシャーと自己啓発。
心から応援したい。
ただ、「応援してくださるファンの皆さんのためにも、負けられません」なんて言うな。
自分のために闘ってほしい。
スポーツマンがタレントぶるとろくな事はない。
自分のために闘ってる姿が美しいのに。
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1/6
「意味もないこと」といって
自分の同意できない話題からあっさり身を引く人に会った。
相手を論破するのではなくて、
身を引くことで自分の価値観を守る
面白い手段。
